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非公認Fanブログ。今さらデスノ語り。二次創作小説もちょっぴり。(カテゴリの小説&小ネタ一覧からどうぞ)
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アニメのLについて語ってます。
人によってはきつく感じられる表現もあるかと思いますので、ご注意ください。
 
※ 平成20年10月31日加筆修正。
 
 

 

 
 
 
 
 
 
リライト2での、ワイミーズハウスでLが子供たちと語るシーン。
あれは結局、TV本編での、Lビルの雨の屋上でのシーンと同じですよね。
L自身が、自分がキラと同じであることを語るという。
 
屋上のシーンも、雰囲気はいいとは思ったものの、Lが、あるいは監督が、何を言いたいのか何を示したいのかさっぱりわかりませんでした。
「あれはLが月の本質をつかみだし、突きつけて見せたシーンなのだ」
という解釈を見てああなるほどとは思いましたが、「で、だから何?」と。
 
月の本質(=正体)を本人に突きつけたところで、月があの場で自白するとも思えないし、万一自白したところで、第三者がその場にいなくては証拠にはならないし、録音機器とかを隠し持ってるようにも見えない。
あるいは自白に直結しなくても、そのことで動揺して何かぼろを出すのを待つのが狙い………としても、この程度で動揺する月かぁ?と。
 
捜査の進展にプラスになる見込みがないのであれば、ああいった場面でああいった感傷的なことは言わない──
少なくとも私の中でLという人物は、よくも悪くもそこまで徹底的に実際家なのです。
 
ちなみに例の友達発言も、私は最初から、
「まぁーたこいつはぬけぬけと大嘘ついて……。まあ、そういうところがおもしろいんだけど。」
と思っていたので、13巻での大場氏の「友達だなんて思っていません。」発言に、「なんでそんなわかりきったことを今さらわざわざ強調するんだろう?」と首をひねっておりました。
まさか、本心からの言葉だと思っている、思いたい人があんなにいるとは思ってもみませんでした…。
 
別にそういうかたを否定する気はまったくありませんし、「探偵と犯罪者として出会っていなければ、良き友人になれたかもしれないな。」くらいのことは考えただろうなと、私ですら思います。
ですが、そんな気持ちは気持ちとして、「そんなIFを考えたところで何にもならない。」とあっさりすっぱり思い切れる人──
それが「世界最高の頭脳」とまで言われた、Lという人なのではないかと。
 
まあ、それはさておき。
 
アニメのLのオリジナル・シーンはですねー、どうもそーゆー、「Lだけが月を理解しているんだよ!」「Lと月は同じ存在なんだよ!」というようなことばかりが強調されすぎ、しかも強調の仕方がおかしくないですか? という気がして仕方がないんです。
 
いくらL自身が「私もキラと同じ負けず嫌い…」と言ってるからって……
と思って確認してみたら、あらら、
「キラは幼稚で負けず嫌いだ。そう…私も幼稚で負けず嫌い…」
と言ってるだけで、「同じ」とは言ってないんですね。
南空ナオミも「Lに似たもの… 近いものを感じました」だし。
 
 
私自身も二人は同じ部分、似た部分があるとは思いますが、決定的に相反する部分も多いと思う。
 そういうところに惹かれているので、準公式ともいえるアニメでやたら同じ同じと言われても…。
 
 しかもその言い方がですね、なんかこう、
 「二人は一心同体なんだよ!!」
的なことを言いたがってるような気がしてならないのは自分だけですか……。
 そのまま見たら、Lが月を救いたがってる、月に尽くしたがってるふうに見えるのは自分だけですか……。
 
 
 アニメの監督A氏が月好きなのは知っていましたが、「監督として月という素材(キャラクター)が好き」なのではなく、もうFanレベルなんですね。
アニメ解析本で「(月のことを)例えるなら、凄く格好よく優秀な“憧れのクラスメイト”」と言っているくらいですから。
 
 で。
 
 Fanというのはえてして憧れの存在と一体になりたいと望むもの。
 好きなスポーツ選手と同じ背番号のユニフォームを着たがったりするのも、その心理の表れですよね。
 
 私は例の25話の屋上だの足拭きだののシーンを見ても、いくら月が好きだとしても、なんで監督がこういう表現にするのかわかりませんでした。
 別にLを貶めるつもりはないらしいのはなんとなくわかったんで、なおさら。
 あのシーンについて、
 「原作は二人の殺伐とした戦いも見所だけど、漫画よりはるかに見る者の多いアニメでは、『おまえ、なかなかやるな』『おまえもな』『わはははは』的な、わかりやすいライバル同士の友情──みたいな表現にせざるを得ないところもあるのではないか」
という意見も見かけました。
 その意見自体は納得できなくもないのですが、「わかりやすいライバル同士の友情の表現」が、成人男性がする、成人男性の足拭きって……ちょっと……いやかなり、無理がありやしませんか………。
 
 だけどリライト2での「またか…。」な、「私(L)とキラは同じ」発言について考えているうちに、わかった気がしました。
 
 監督=Lなのです。
 
 自覚があるのかどうかはわかりませんが、監督にとって、Lは作中での自分自身なのです。
 月と同レベルの存在、ということは月と一心同体になる資格を持つ(と考えられる)、月とはまたちがった意味での憧れの存在。
 
 ということは、アニメでのオリジナル部分のLのセリフは、すべて月Fanである監督の月への言葉なのだな。
 そう受け取ったら、私の中ではひどくしっくり来ました。
 
 監督=月Fanと化したLだからこそ、あれほど、
「私とあなたはまったく同じ存在なんだよ。私を認めて。私を受け入れて。私と同じ嘘つきである自分自身を認めないと、あなたは滅びるだけだよ。」
的なことばかり繰り返していたのだな、と。
 (こう書くとホントにヤオイっぽいですねー……。でも憧れの男性スターに入れ込む男性Fanてのは、入れ込み度があるラインを越えると、多かれ少なかれそんな感じになってしまうと思ってます。)
 
 
 あの足拭きのシーンについては、イエス(=L)とユダ(=月)になぞらえているのだという意見も多いようですが、これまた個人的にはしっくりこない。
 
 これはキャラクターの、というより、個人的な宗教のイメージの差だと思うのですが、私にとってキリスト教というのは断罪の宗教という印象が強いので(それが悪いと言っているのではありません。念のため。)、デスノのキャラの中でキリストのイメージの者をあげろと言われたら、Lじゃなくニアなんですよね~。
 
 Lは月(キラ)を捕まえようとは思っているけど、それは断罪とは違うし。
 また、Lはいろいろ傲慢な人物ではあるけれど、自分が捕まえたら死刑や終身刑になるだろう者を、「救ってやろう」なんて傲慢さは持ち合わせてはいない気がするんです。そういうところが管理人にとってはすごく新鮮で大きな魅力のひとつなんです。
 
 それに、イエスとユダということになると、どうしたって救う者と救われる者=上下関係って感じに個人的にはなってしまうのですが、Lと月はあくまで対等というイメージなのです。
 
 
 結論。
 私とアニメ監督のLの解釈は違いすぎる。しかも嫌な方向に。
 
 違うだけなら、「おおッ、なるほど! そういう見方もあるのかー!!」と楽しむことだって充分できるはずなんですがねー。
 
 「オリジナル部分のアニメLは、アニメ本編のLですらない。」
と切り離して考え、無視するしかないようですが………好きなキャラだからこそどうしても気になってしまうんですよねぇ……。
 
 
 
 だら長い文章におつきあいいただき、ありがとうございました。
 
 
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